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能登移住

更新日:2021年8月26日

2012年7月に石川県輪島市町野町にやってきました。

研修を受けて1週間で、農家としての理想と現実と農業の大変さを体験しました。


2012年12月 研修期間が終わり、川原農産に就職をし住民票も移し輪島市民になりました。

この時、研修中に出会った地元の人と結婚をしました。


2013年から川原農産で仕事をしながら、自分でも7aの田んぼを作り始めました。


この時から、数年後に独立して専業農家になると宣言していました。

この時に考えていたのが、どうすれば農作物の価値を上げれるのか、市場などで他人に値段を決められるのはおかしいということでした。


そのひとつの答えが無肥料無農薬栽培だと思い無肥料無農薬栽培の勉強をしていきます。インターネットで調べ、講習会に参加したり、実践している農家さんに会いに行ったりして、話を聞きに行きました。

そこで炭素循環農法と出会い深く勉強していくことになります。


無肥料無農薬栽培は農業の産地ほど実践していくのは難しい。

キレイで大きいのが受ける能登では少しでも傷があったり小さかったりするとやっぱり無肥料無農薬で作物は出来ないと言われ続けました。

都会から移住してきた農業未経験者が何を言っても受け入れてもらえず、批判もされました。

この間に子供も生まれ、子供ができたことで安心安全な食べ物で育てたいという思いが強くなり輪島に無肥料無農薬栽培を受け入れる環境を作りたいと考え

、地元の名の通った農家に炭素循環農法を実践してもらい結果をだしてもらって地元に認知してもらう作戦を実行しました。

勤めている川原農産の社長に講習会や農家訪問でつないだ知識と人脈をすべて提供して説得しました。

炭素循環農法実践者を紹介してその人の米を食べたときに快諾してもらえました。

それと、不可抗力で私が田植えの時に肥料を入れ忘れたのでそのまま無肥料でやってみようということになりました。


川原さんが炭素循環農法で実績を積んでいくことがうらやましく思うようになって行き早く独立して自分の農業がしたいという思いが強くなっていました。

いま思えばなにかにあせっていたと思います。


輪島に来て4年目で今の農地の後継者を探しているという話を聞き、後を受け継ぐことになり2017年に陽菜実園(ひなみえん)として独立しました。

その時、周りの柿農家の人たちから言われたのが、悪いことは言わん柿農家はやめときなさいでした。

4年間、炭素循環農法を勉強して、指導してくれる先生も見つけて、園地を紹介してくれた会社も加工用の柿として買ってくれるというのでなにも怖いものはなく自信満々で独立しました。


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三井の里山マルシェには、毎回、三井里山権現太鼓の皆さんが来て太鼓披露してくれます。 祭り太鼓好きの私は、お客さんのいない先をねらって太鼓に混ざったりしています。