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​農家・柳田尚利

大阪府東大阪市出身、2012年7月に大阪から能登に移住し農業をはじめました。はじめは何もわからない状態から農業法人に就職し、基礎から学びました。2017年農家として独立しました。

現在、2.6haの畑で平核無柿(ひらたねなしがき)という渋柿を栽培しています

​大阪時代

20代~30代の時、私は肥満体でした、暴飲暴食が大好きで、運動をしない生活をしていました、ある時体重が100kgを超えてダイエットを決意、はじめは食べるけど、運動だけで痩せるコンセプトでひたすら走っていました。
途中体重減少の停滞期に悩み、食事制限を始めました。
食事制限をする中で、食べ物にこだわり健康オタクになっていきました。
25kgの減量を達成しフルマラソンも3時間45分で完走し、フルマラソンのタイムを縮めるために、食のこだわりが強くなっていき、農業に興味を持つようになっていきました。

田舎暮らしも、農業も興味はあるけど、どうしたらいいか分からない、一歩を踏み出す勇気がないまま数年が過ぎていきました。
ある時、石川県の米農家さんのニュースを見て、検索すると石川県が奥能登で農業研修生を募集していて、申し込み期限が1週間後だった。
半年間、手当ももらえて研修できるという制度に魅力を感じて応募することにしました。その時から研修後も受け入れ農家さんに就職するつもりだったので社員としての受け入れ実績のある農家さんを希望しました。
もしこの時、申し込み期限が3日後だと諦めていただろうし、1ヶ月後だと忘れて申し込みしていなかっただろうし、とても縁を感じました。

資格(自動車整備士)と趣味(ケーキ作り)も積極的にアピールしていると、希望していない川原農産さんから勧誘を受けて行くことになりました。

 

当時、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の話が出始めで、健康オタクの僕は日本の農作物が安い海外産に変わり、ポストハーベストまみれの農作物だらけになるのではと強い危機感を感じていて、米、豆、麦などの穀物が作れるようになればいいなと思い米農家志望でした。

能登移住

2012年7月に石川県輪島市町野町にやってきました。

研修を受けて1週間で、農家としての理想と現実のギャップと農業の大変さを体験しました。

とりあえず、作業がきつかったです、身長180㎝でそこそこ力もあり、フルマラソンを4時間以内で完走する体力もあるので大丈夫と思っていたのですが、普段使わない場所を使うのと作業のコツを知らないために力ずくの作業をしていて慣れるまで毎日へばっていました。

この時に運命の出会いがあり、そのおかげでホームシックにもかからず、楽しく能登で過ごすことができました。

​その出会いとは、今は妻になった女性と生涯の趣味になる輪島の祭り太鼓です。

2012年12月 研修期間が終わり、研修先であった川原農産に就職をし住民票も移し輪島市民になりました。

2013年 研修中に出会った地元の人と結婚をし、義実家の集落の田んぼを70a任されることになり、川原農産で仕事をしながら田んぼを作り始めました。

 

この時から、数年後に独立して専業農家になると宣言していました。
この時に考えていたのが、どうすれば農作物の価値を上げれるのか、市場などで他人に値段を決められるのはおかしいということでした。

そのひとつの答えが無肥料無農薬栽培だと思い無肥料無農薬栽培の勉強をしていきます。インターネットで調べ、講習会に参加したり、実践している農家さんに会いに行ったりして、話を聞きに行きました。
そこで炭素循環農法と出会い深く勉強していくことになります。

無肥料無農薬栽培は農業の産地ほど実践していくのは難しい。
キレイで大きいのが受ける能登では少しでも傷があったり小さかったりするとやっぱり無肥料無農薬で作物は出来ないと言われ続けました。
大阪から移住してきた農業未経験者が何を言っても受け入れてもらえず、批判もされました。
この間に子供も生まれ、子供ができたことで安心安全な食べ物で育てたいという思いが強くなり輪島に無肥料無農薬栽培を受け入れる環境を作りたいと考え、地元の名の通った農家に炭素循環農法を実践してもらい結果をだしてもらって地元に認知してもらう作戦を実行しました。
勤めている川原農産の社長に講習会や農家訪問でつないだ知識と人脈をすべて提供して説得しました。
炭素循環農法実践者を紹介してその人の米を食べたときに快諾してもらえました。
それと、不可抗力で私が田植えの時に肥料を入れ忘れたのでそのまま無肥料でやってみようということになりました。

川原さんが炭素循環農法で実績を積んでいくことがうらやましく思うようになって行き早く独立して自分の農業がしたいという思いが強くなっていました。
いま思えばなにかにあせっていたと思います。

輪島に来て4年目で今の農地の後継者を探しているという話を聞き、後を受け継ぐことになり2017年に陽菜実園(ひなみえん)として独立しました。
その時、周りの柿農家の人たちから言われたのが、悪いことは言わん柿農家はやめときなさいでした。
4年間、炭素循環農法を勉強して、指導してくれる先生も見つけて、園地を紹介してくれた会社も加工用の柿として買ってくれるというのでなにも怖いものはなく自信満々で独立しました。

独立1年目(2017年)

1年目は失敗続きの1年でした。

一番心配だった剪定も先生と1週間マンツーマン指導で剪定実習、勉強してきた自信から当然の様に無肥料にし、農薬も極限まで減らしました。

ここまでは自信満々にこなしました、しかしここから勉強では聞いたことのない状況になります。落葉病とヘタムシ。

この2つのイレギュラーの対応が分からず、対応が後手後手になっていきます。

その結果1年目は美味しい柿が出来たねとは言ってもらえましたが、虫食いで収穫する柿より、捨てる柿の方が多くて、園地の地面をオレンジ色に染めてしまいました。

そして気付いていなかった3つ目のイレギュラー、スリップス。

このスリップスによって柿に黒い筋が入って見た目がすごく悪くなってしまいます。

そして4つ目のイレギュラー、柿の大きさ。

突然無肥料にした影響と摘果の量も分かっていなくてSSサイズを連発大きくてMサイズという状況でした。

そんな中、出荷した柿をサイズ関係なしに購入してくれた、加工会社には感謝しかありません。

1年目の収穫は収穫して脱渋するだけで精一杯な感じで、柿の日持ちの悪さに振り回され、なぜ干し柿に加工した柿が多いのか体感しました。

そんな1年目に無農薬無肥料の農家仲間から果樹ならDOHO STYLE(道法スタイル)の剪定、栽培方法を学んだ方がいいと情報をもらい、DOHO STYLE(道法スタイル)の講習会に参加し学んでいきます。

まだまだ農家としての道は始まったばかり。

その後の話も​追記していきます、もうしばらくお待ちください。

こだわりの栽培、安心の製法

​ひなみ柿の凝縮した味をご堪能下さい

美味しさと安心を追求し、栽培した陽菜実園のひなみ柿だけを使用し、砂糖、漂白剤等不使用の完全無添加で柿の成分を破壊しないよう、低温でじっくり乾燥させ自然の美味しさを凝縮した自然のお菓子です。

そんな干し柿を柿のドライフルーツと名乗り、若い世代の女性にも手に取ってもらいたくて商品名をフランス語にしました。

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Des Sec
​デ セック
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Mou Mou
ムームー
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Demi Sec
​ドゥミセック

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